tyaba2書評

読書履歴としてのブログ

『第2図書係補佐』又吉直樹

書評をし始めて半年が経ち、そのうち放置して4ヶ月がたった。

三日坊主ならぬ2ヶ月坊主。

なぜ思い出したかのように書評を再開させたかというと、表題である芥川賞作家、又吉直樹の『第2図書係補佐』を読んでインスピレーションを受けたからだ。

 

インスピレーションとか横文字のハイカラな言葉を使ってはみたが、ただ単純に又吉直樹の書評(というよりは紹介文)集であるこの本の、今まで読んできた本に対する思いや、当時の思い出、環境への文字の起こし方が大変参考になったというそれだけのことだ。

 

2006年~2009年まで渋谷の劇場で配布されていた、フリーペーパーで又吉が担当する本の紹介コラムを集めたものが文庫本として幻冬舎よしもと文庫から発刊されたのだが、このコラムが文章の構成だけで言うと本当に本を紹介する気があるのかと疑うような構成となっている。

 

ざっくりというと9割が又吉のその本を読んだ時(時代)の思い出話。

残り数行でその本のあらすじを紹介。なんなら内容はよく覚えていないなんていうことも書いてあった。

けれどなぜか不思議と読んでみたくなる。9割が又吉の思い出話なのに。

 

2つ理由があると思う。

1つ目は本とともに人生を歩み、思い出が増え、その思い出または本をきっかけにどちらの記憶が繋がって思い出される。それが自分にとってかっこよく見えたこと

 

2つ目は、自分は人から勧められる本は読む気が失せる性格なのだが、又吉の紹介文はそれが全く前面に出ていなくてよかった

 

又吉にはそういううまさがあると思う。狙ってやっているのか、センスなのかは分からないが、その感覚はぜひとも身につけたいものだ。

 

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『読書について』アルトゥール・ショーペンハウアー

読書をするときにはいつも付箋を近くに置いている。自身の為になる個所や気になったフレーズのページに貼り、いつでも振り返られるようにするためだ。

いい意味でも悪い意味でも付箋の数が多かったのが今回の『読書について』である。

 

ショーペンハウアーは本作品の中で繰り返し自分の頭で考えることの重要性を説いている。本を読むだけではそれは他人の考えをなぞっているだけ、他人様の食べ残しを食べているようなものだとも言っている。

そして、最も大切なのは悪書を読まずにすますことだという。悪書から被るものはどんなに少なくとも少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも読みすぎることはない。

作者の言う良書とは古典作品のことであり、それらを読むことほど精神をリフレッシュされることはないと言っているが、とてもそのようなものを自分に読めるとは思わない。

 

著者は決して読書を否定しているわけではないが読書に関して過激な表現をしている箇所が多々見受けられる。

 

例えば「あらゆる時代、あらゆる国のありとあらゆる種類の最も高貴でたぐいまれなる精神から生まれた作品は読まずに、毎年無数に孵化するハエのような、毎日出版される凡人の駄作を今日印刷されたできたてほやほやだからというだけの理由で読む読者の愚かさと勘違いぶりは信じがたい」

 

いやはや耳が痛い。現在、私は世間で話題になった本や、古くとも半世紀前に書かれた本をよく手にするのだが、まるで自分のことを言われているように感じる。

 

今の自分の微々たる教養を少しでも伸ばすために、そして違う角度から知識を得るためにショーペンハウアーの考えを参考に古典文学(難しいので近代文学でもいいですか)を読書に加え、その中で自分の考えを持ち、書評を通してアウトプットし、自分のものにしていければと思う。

 

最後に、私のように他人(ショーペンハウアー)の考えをなぞることでしか自発的に動けない者もいるという意見をもって初めて作者への反論とする。

 

 

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『パプリカ』筒井康隆

精神医学研究所に勤める千葉敦子はノーベル賞級の研究者であり、サイコピスト。彼女のもう一つの顔はPT機器(サイコセラピー機器)を使用し、他人の夢に入り込み、精神病、神経症抑鬱症状を治療する夢探偵パプリカだった。

PT機器だけでも画期的な装置であるが物語の中では、そのPT機器の上位互換版のDCミニという最新型が発明される。

世間にまだ公表されておらず、数台しかないこのDCミニを巡った争奪戦が人の夢と夢の干渉の中で繰り広げられていく。

 

物語の一番の読みどころといえばなんといってもパプリカの治療であろう。

PT機器で患者の夢に侵入し、他人の夢(記憶)を追体験したり、患者が目覚めてからモニターで夢の録画を視聴し、カウンセリングを行う。

DCミニが発明されてからはその悪用を防ぐためにパプリカは奮闘し、物語も加速度的に面白さを増していく。

終盤では他人の夢が現実世界にも影響を及ぼし始め、神話の世界の動物が出てきたり、夢の話なのか、現実の話なのか分からなくなったりと、少し読みづらいところもあるが、数ある筒井作品を代表する名作なのは間違いない。

 

筒井康隆の作品といえば近年爆発的にヒットした『旅のラゴス』が有名だろう。

発売日は1986年(徳間書店)だが(パプリカは1993年)1994年に新潮文庫から再発売されてからコンスタントに売れ、なぜか近年10万部を超える大増刷となった。

同じ筒井作品である『残像に口紅を』『時をかける少女』『ロートレック荘事件』といった、メディアで宣伝されたり、ドラマ化アニメ化されたというわけでもなく、面白いと噂が噂を呼び、まとめサイトやネットのランキングで取り上げられることが増え、爆発的な売上を記録した作品である。

この現象は新潮文庫アーカイブスでも「謎のヒット」として取り上げられるほど。

私も読んでみたが、一人の男性の生涯が書かれた大河的な作品で、ファンタジー要素も含まれていて確かに面白かった。主人公の生き方や考え方などが現代の若者の境遇にマッチしたのかと考えられなくもないが、発売から30年も経過し、時間差的に大ヒットする作品なのかといわれると疑問が残る。

 

『旅のラゴス』が現代社会にハマり、大ヒットとなるのであれば、それこそ今タイトルの『パプリカ』こそ鬱病、精神病が蔓延している現代において一つの可能性を提示する作品という意味で、さらにヒットしてもいいのではないかと思う。

 

 

「不安っていうのは人間の本来のありようだから、あった方がいいなんてハイデガーも言っているわ」

 

 

一度パプリカの治療を受けてみたいものだ。

 

 

 

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『眼球奇譚』綾辻行人

綾辻行人の小説を読むのは本作品で3作目となる。

 

作者のデビュー作であり最も評価が高い『十角館の殺人』、アニメ化もされた『Another(上)(下)』に続いてだ。

 

普段小説を買うときは好きな作家の本を除き、ネットのおすすめ記事やAmazonのカスタマーレビューを参考に買うのだが、

今回は書店で何気なく綾辻行人のコーナーを見ていて何気なく手に取った小説がこの作品だった。

 

長編ミステリーを読むのは割と体力を使うため、読みやすそうな短編集があったのは個人的に嬉しく思う。

 

綾辻行人といえばミステリーの「新本格派」と言われミステリー業界の一つの潮流を作った人物であるが

以下、綾辻行人のデビュー以降の推理小説の一連の流れの総称である「新本格」の概要である。

 

戦時中、執筆を禁じられていた本格推理小説は、戦後横溝正史の活躍や高木哲也などの新人の登場で復を見せた。しかし1958年松本清張の『点と線』がベストセラーとなったことをきっかけに、リアリズムを重視した社会推理小説が台頭し、「の山荘」「絶の孤」「の屋敷と胡散臭い住人」「暗躍する殺人犯」「名探偵」のような人工的な舞台モチーフを用いた古典的な本格推理小説は古臭いものとして退けられるようになっていった。

しかし社会推理小説も、推理味の希薄な作品の濫発により、60年代半ばには勢いを失う。70年代に入ると、角川映画の仕掛けた横溝正史ブームが巻き起こり、短命に終わったが探偵小説専門誌「幻影城」が登場して泡坂妻夫連城三紀彦デビューするなど、推理小説にかつてのロマン復権める動きが生じていた。

そんな中、1981年島田荘司が『占星術殺人事件』でデビューし、数少ない本格推理小説の書き手として名を得る。その島田の肝いりで、1987年綾辻行人が『十角館の殺人』で講談社ノベルスからデビューする。また同時期に東京創元社ミステリの新刊の刊行に乗り出して新人発掘を開始。その結果、講談社ノベルスからは歌野晶午法月綸太郎我孫子武丸など、東京創元社からは折原一、有栖川有栖北村薫山口也などの作家の後を追うように続々とデビューを果たし、上の世代から顔をしかめられながらも、若い読者の熱狂的な支持を得て、本格推理小説人気が復した。

そんな流れの中で、デビューを仕掛けた講談社ノベルスが発明した、これらの本格推理小説を総称するレッテルが「新本格」である。

 

今タイトルの眼球奇譚は1995年に集英社から出版された短編集であり、

推理小説ではなく、ダークなホラー小説となっている。

 

妻の体から切断された部位が再生する「再生」

池で釣り上げた魚が異常な進化を遂げる「呼子池の怪魚」

拾ってきた人形が自分と入れ替わる「人形」

 

面白いのがすべての短編に「由伊」という女性が登場することだ。

この由伊という人物はそれぞれの作品で年齢も容姿も違っており、共通点や関連性はないように思える。

作者の遊びなのかなんなのか、作品の冒頭に「ー彼女らへー」との記述があるため

何らかの背景があることに間違いはない。

 

全ての作品が非常に読みやすく、中には少しグロテスクな表現もあるが、初めて綾辻行人作品を読む人にとっては良い選択なのかなと思う。

 

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『異類婚姻譚』本谷有希子

関テレで放送中の「セブンルール」に出ている綺麗な女性は誰だろう。

そんな興味で本谷有紀子を調べてみると、なんと芥川賞作家だった。普段読んでいる本とは少し毛色が違うが、受賞作品を読んでみたいと思い、書店で手に取った一冊。

 

「最近、自分の顔が旦那と似てきた。」と気が付くところから始まるこの物語は

夫婦という枠組みで同じ屋根の下で暮らしていくうちにお互いの境界線が薄れ、重なり合っていくというテーマを回りくどく(おそらく本谷らしい表現)描いている。

 

主人公のサンちゃんは専業主婦。旦那は家事もろくにせず、「俺は家では何もしたくない男だ」と開き直り、バラエティを見ながらハイボールを飲み続ける、見ている限り典型的なダメ夫。

 

ある日二人で歩いていると、旦那が吐き捨てた痰を見た女性が腹を立て詰め寄ってきた。

旦那の代わりに痰をハンカチで拭い、ただ謝り続ける主人公。女性はあなたがやったことではないのにと呟く。その時主人公はまるで自分が痰を吐き捨ててしまったかのように罪悪感を覚えたことに気が付く。

 

結婚は蛇ボール(ウロボロス)みたいなものだと主人公の弟の彼女が結婚をためらっている理由を作中で言っていたが、

主人公は誰か(主に元彼)と親しくなるたびに蛇ボールのようにお互いを食べ合い本来の自分がなくなり最後にはあとかたもなくなってしまう。

 

旦那の痰を自分の罪のように感じた主人公は既に自分という存在が旦那と意識上で同化していることに気が付いた。

旦那もある日鬱症状が出始め、仕事を休みがちになり、なぜか毎日大量の揚げ物を作り、主人公に食べさせ、ハイボールを飲ませる。

このあたりから夫婦としての役割が物語の序盤と逆転していく。

 

終盤ではセリフの「」が取り払われ、いったいどちらが喋っているのかわからなくなるほど個人が失われ、完全に同化していることが表現されている。

 

読み終えた後の率直な感想だが

正直なところ、表現が難しく、私には理解ができなかった。

結婚することで個が失われ、それを夫婦の顔が似てくるという表現を使い、主人公の個や結婚に対する考えを描いているのはなんとなくわかった。

しかし、ラストの旦那が芍薬になる表現や、同じマンションの住人の猫を山へ逃がしに行くシーンなど、本谷の描くストーリーを自分の中に落とし込み、消化することができなかった。

いろんな伏線やメタファーがちりばめられているんだろうなと思うが私には難しかったようだ。

 

作者の逸話だが、本谷は学生時代にバレー部に体験入部をした際、先輩に球拾いの仕方が生意気だという理由で本谷を狙って球を打ち込まれたそうだ。

普通の人ならこんな部活に入るのは止めようと思うところだが本谷は「負けるか」とバレー部に入部。そしてその態度は先輩20人にトイレで詰められても変えなかったそう。最終的に本谷は周囲に認められ部長にまでなったという。(引用元 ちょい虹:映画情報)

 

そういった背景も作品に反映されているのかと思うと他の作品も読んでみたいという気になる。

 

今タイトルを理解するために大変参考になるであろうブログのURLを貼っておく。

このひとのように書評を書けるようになりたい、、、

 

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=22&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiV0uCB0tDlAhUhGKYKHXVDDBEQFjAVegQIAhAB&url=https%3A%2F%2Ftyoiniji.hateblo.jp%2Fentry%2F%25E6%259C%25AC%25E8%25B0%25B7%25E6%259C%2589%25E5%25B8%258C%25E5%25AD%2590_iruikonintan_review&usg=AOvVaw2E5bNMfgvE9Mt_4KMlrhUZ

 

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吉田松陰『留魂録』

「万巻の書を読むに非ざるよりは、いずくんぞ千秋の人たるを得ん。」

多くの本を読まなければ、名を残す人物にはなれない。

また、松陰は「読書して学んでも行動しなければ意味がない」とも言っており、

私が本ブログを開設する一番の理由だった読書によって取り込んだ情報、知識をアウトプットしたいという思いを後押ししてくれているようでもある。

 

この「万巻の書」の文がきっかけで今タイトルの留魂録を読むに至った。

 

留魂録を現代語訳で非常に読みやすくしており、短時間で吉田松陰について学べる本となっている。

 

松下村塾にて高杉晋作久坂玄瑞伊藤博文ら多くの著名人を指導し、日本の礎を築いたともいえる松陰。

教育者としてのイメージが強いが、ペリーが来航した際には密航を企て、失敗し投獄され、晩年には倒幕運動が過激化し井伊直弼の指示によって斬首されるというような破天荒な一面も見られる。

 

印象に残ったエピソードとしては

読書を好み、その読書量や読書スピードは尋常ではなかったことや、

着物に5冊ほどいつも書物を入れていたため、着物のセンターラインの縫い目が

真ん中に来ることはなかったそう。

 

普段、時代小説や、歴史ものの本を読まない私にとっては吉田松陰の来歴から歴史が幕末、明治の周辺知識が学べ、非常に有意義なものとなった。

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