tyaba2書評

読書履歴としてのブログ

『読書について』アルトゥール・ショーペンハウアー

読書をするときにはいつも付箋を近くに置いている。自身の為になる個所や気になったフレーズのページに貼り、いつでも振り返られるようにするためだ。

いい意味でも悪い意味でも付箋の数が多かったのが今回の『読書について』である。

 

ショーペンハウアーは本作品の中で繰り返し自分の頭で考えることの重要性を説いている。本を読むだけではそれは他人の考えをなぞっているだけ、他人様の食べ残しを食べているようなものだとも言っている。

そして、最も大切なのは悪書を読まずにすますことだという。悪書から被るものはどんなに少なくとも少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも読みすぎることはない。

作者の言う良書とは古典作品のことであり、それらを読むことほど精神をリフレッシュされることはないと言っているが、とてもそのようなものを自分に読めるとは思わない。

 

著者は決して読書を否定しているわけではないが読書に関して過激な表現をしている箇所が多々見受けられる。

 

例えば「あらゆる時代、あらゆる国のありとあらゆる種類の最も高貴でたぐいまれなる精神から生まれた作品は読まずに、毎年無数に孵化するハエのような、毎日出版される凡人の駄作を今日印刷されたできたてほやほやだからというだけの理由で読む読者の愚かさと勘違いぶりは信じがたい」

 

いやはや耳が痛い。現在、私は世間で話題になった本や、古くとも半世紀前に書かれた本をよく手にするのだが、まるで自分のことを言われているように感じる。

 

今の自分の微々たる教養を少しでも伸ばすために、そして違う角度から知識を得るためにショーペンハウアーの考えを参考に古典文学(難しいので近代文学でもいいですか)を読書に加え、その中で自分の考えを持ち、書評を通してアウトプットし、自分のものにしていければと思う。

 

最後に、私のように他人(ショーペンハウアー)の考えをなぞることでしか自発的に動けない者もいるという意見をもって初めて作者への反論とする。

 

 

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